映画『シン・ゴジラ』

シン・ゴジラ

というわけで、とてもとても出遅れたわけだが、シン・ゴジラを劇場で見てきた。

不安に苛まれながら劇場に向かった

見るのが8月の終わりになったのは、子供が幼稚園に行っているうちに見に行かないといけないからだ。

福岡の美術館でゴジラ展が開催されており(8月末でゴジラが美術館を壊したので、もう終わってます、すいません)子供を連れて行くと約束したところ、「ゴジラ展、ゴジラ展!!」と大いに盛り上がってくれて、さぞ喜んでくれるだろうと連れて行ったところ、入り口で聞こえたゴジラの第一声(第一叫?)で「怖い、怖い><」と泣き始め、結局ゴジラ展はろくに楽しめなかった。

そういうわけで、子供は幼稚園の延長保育を使って、夕方まで幼稚園に幽閉。ぼくは会社を休んで昼間から妻と映画デート、というわけである。

そんなわけだから、シン・ゴジラが大層評判になっているのは知っていた。しかも、友人たちが2回、3回と劇場に足を運んでいる。それ、スターウォーズとか一部の AAA 大作だけに許されることだから。

けれども思い起こすに、エヴァンゲリオンも大層な人気になったが、ツッコミどころが多い作品でもあった。新劇場版で盛り返したが、テレビシリーズなんて最後は紙芝居で終わり、伏線は回収されず終いの幕引きだった。そういえばエヴァの影響を受けたゼノギアスのディスク2枚目も一枚目の RPG を捨て、突如サウンドノベルになってた。あれもひどかった。

シン・ゴジラもおおよそよくできているが、劇場を出るときには、なんやねんそれー!ってなるに違いない。やっぱり「君の名は」にしておけばよかった。「おでこ(僕のこと)ってたまに地雷引くよね」と妻にも詰られるんじゃないか。

不安に苛まれながら劇場に向かった、ぼくの心はゴジラとは対照的に見事に燃え上がったのでした。

今だからこそ撮れるゴジラ

2011年以降地震、放射線、水害、噴火と日本は数々の自然災害に見舞われてきたけれど、本作におけるゴジラの侵攻はまさにそれに類するものとして描かれている。

都内の川をゴジラが遡り、無数の船が積み重なる光景は東日本大震災の津波を思い起こす。ゴジラの熱源は伝統の核分裂が採用されており、ゴジラが通った跡はモニタリングポストの放射線量が上昇していく。

放射線のスクリーニング、除染、さらには放射線の半減期など、東日本大震災以前なら説明なしに映画で描いても理解されなかったと思う。細かいところでは 00000JAPAN のテロップも(2015年末に提唱され、熊本地震で広く知られるようになった)。

本作で描かれている政府の災害対応も、東日本大震災における当時の政府の対応を重ねて見る人も多いのではないかと思う。

今だからこそ撮れる、今だからこそ公開できるゴジラ映画だ。

庵野監督が演出した、真のゴジラ映画

タイトルからして、庵野監督の次回作「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を想起させる「シン・ゴジラ」しかり、劇中テロップの明朝体の白い文字しかり、組織結成シーンのモチーフ EM20_rhythm_GZM はエヴァンゲリオン サウンドトラックの Decisive Battle のアレンジが用いられていたりと、エヴァファン・庵野ファンに媚びた映画なのでは、との認識は見事に打ち砕かれた。

ちょっと、いやだいぶ尻尾は長いが、ゴジラの形状は昔見た伝統的なゴジラであり、上述したように核の恐怖や人間の身勝手さに対する警鐘として描きつつ、ゴジラという災害に立ち向かう人間を描いた。ハリウッドのそれとはまるで違う。

有名監督がゴジラを撮った、ではなくエヴァンゲリオンに見られる自身のセンスで上手に味付けを施したゴジラ映画、と言っていいと思う。

個人的に嬉しかったのは総理大臣、大統領、などといったエグゼクティブではなく、実務を担っているスタッフたちががんばる映画だったこと。

記者会見のような目立つ場面はエグゼクティブの仕事だが、その裏にはスタッフたちの血の滲むような努力があるのだ。ラップを連呼する学生デモなんて何の足しにもならない。

英語の発音がどうだ、キャラがどうだといろいろ言われていたっぽい(ネタバレが嫌でタイトル以外はスルーしていた)石原さとみの演技はぼく的にはアリ。いつもとは真逆の演技を求められたのだと思うけど、それでこそ女優だと思う(仕事で一度だけお会いしたことがあるけど、クライアントへのサービス精神旺盛なとても良い子でした)。

ただし、本作を海外に持って行っても、このようにウケたりはしないだろう。描いているのはあくまで現実の日本であり、日本人こそが楽しめる映画だ。

 

そんなわけで、2016年一番よかったエクス・マキナを抜いて、シン・ゴジラが暫定一位となりました。ぱんぱかぱーん。

 

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