クリストファー・ノーラン監督の最新作『インターステラー』を見てきました。
のんびりとした農家から物語は始まります。「アメリカとインドの空軍がない」という元宇宙飛行士で今は農家のクーパーの科白から、舞台は近未来の地球だということが分かります。やがてクーパー一家はとてつもない砂嵐に襲われ、作物を育てていたわずかな耕作地もダメになってしまいます。地球規模で災害が進行し、植物が枯れていきます。
砂嵐の中、娘のマーフの部屋で見つけた不思議なサインに導かれ、クーパーはかつての仕事仲間ブラント教授と、解体されたはずの NASA に再会します。そこでは、地球とは別の銀河に人類の新天地を求めるプロジェクト―ラザロ計画が進行していました。
クーパーは、ブラントから入植者が辿り着いた3つの惑星へ旅立つことを求められます。それは、娘のマーフとの長い長い別れを意味していました。
予告編などでは「父と娘」の部分がとても強調されていて、それはこの映画でもっとも分かりやすい部分であるからなのですが、本作の見どころは何と言っても科学的知見(諸説ある中のひとつ)に則って視覚化された宇宙の映像だと思っています。
たとえばカー・ブラックホールに近づき、その中へ突入していくさまや、ワームホールの内部、5次元領域の空間などなど。Newton やら Nature やら、科学雑誌を見れば載ってはいるものの、それらは2次元の紙面におとされて動きもしませんよね?一体どのように描かれているのかワクワクしながら見ていました。
ここまで来ると、どこまでこの映画は科学的なのか、どこまでが実現できていて、でどこからがSFなのか、というのが気になるところではないでしょうか。
まずいきなりですが、物語の要になるワームホールは、アインシュタインとローゼンの方程式の解から数学上存在が予測されるものに過ぎません。入り口となるブラックホールは大質量かつ高密度で、極めて強い重量の力で光ですら逃れられない空間であるため、誰も観察できそうにありませんし、今の科学技術を以って、重力で潰されずに通過できるような乗り物を作る、そんなことはできそうにありません。
(本作の製作総指揮に名を連ねるキップ・ソーンは、ワームホールを命名したホイーラーの弟子にしてワームホールの権威ですから、多分これを一番表現したかったのだと思いますが…)
もう一つ事例を。クーパーは5次元空間を抜けて、元いたタイムラインの土星近くで発見されます。これはいわゆるタイムトラベルを科学的に表現したものと思われます。
映画『ドラえもん のび太の恐竜』を引き合いに出してみます。この作品の中では、白亜紀のアメリカの森でタイムマシンが故障し、徒歩で日本を目指すシーンが出てきます。タイムトラベルには時間の移動と場所の移動の2つが必要で、時間移動の機能は無事でしたが「場所の移動」の機能が壊れてしまったため、タイムマシンを日本まで運ばなくてはいけないのです。
これは簡単な例ですが、タイムトラベルをするには「時間」を移動するだけではダメで、「場所」も移動しなければいけないことが表現されています。現実には、地球は太陽の周囲を公転しており、昨日自宅で寝ていた自分と朝目覚めた自分の地球上での位置は同じでも、宇宙での位置はまったく違います。
クーパーは何十年も前に入植者の星を目指して別の銀河へと旅立っており、土星の位置を正確に予測して移動することは相当に天文学的な偶然と言えそうです。
(5次元空間の段階でエヴェレットの多世界解釈か、コペンハーゲン解釈かの大きな問題が出てきそうですが…)
ご都合主義も多分に含まれてはいるのですが、ハード SF を映画として描いた良作だと思いますし、究極の状況で引き裂かれた父と娘の断絶と氷解の物語には感動を覚えました。
最低限ウラシマ効果だけは理解して、ぜひ映画館でご覧ください。