映画『風立ちぬ』

風立ちぬ

風立ちぬ

宮崎駿監督の最新作『風立ちぬ』を初日に見てきました。

──二郎は飛行機に乗って空を駆け巡ることを夢見る少年。アメリカの雑誌に載ったカプロニの記事に夢中になり、将来飛行機の設計をしたいと誓った。
 大学生になった二郎が記者で東京に向かう最中、関東大震災に見舞われる。地震と火災の混乱の中二郎は、足をくじいた女中と菜穂子を連れて上野を目指した。
 二年後、二郎は名古屋にある三菱内燃機製造に就職し、戦闘機の設計を手がけるようになった。二郎が設計した戦闘機は墜落し、傷心の二郎は軽井沢を訪れる。そこには震災の時に出会った菜穂子がいた──

堀辰雄の小説『風立ちぬ』と航空技術者の堀越二郎の半生を足して2で割った、といでも言いましょうか。しかし、ううむ、この映画をどう受け止めたらよいのでしょう。

堀辰雄の『風立ちぬ』のように、死を越えてどう生きるかを問う作品というよりは、死にどう向き合うかに焦点が絞られているように感じました。というのも、菜穂子の死はわかるものの、伝聞でしか描かれず、その事実が判明したところで物語も終わってしまうからです。

菜穂子の結核の療養より二人でいることを選んだところには、死に対する覚悟があったと思うんですね。でも、それすらも淡々と描かれているんです。悩み苦しむというより行動なんですね。結核に苦しむ薄幸の少女というイメージは間違いなく小説『風立ちぬ』によるところが大きいと思うのですが、映画の菜穂子はジブリ映画のヒロインらしい、立ち向かう少女、でした。

次に戦争について。監督の宮崎駿は、反戦の立場を取っているものの本作は戦争を糾弾する説教くささはありません。勝ち目のない戦争に突き進む国と軍部に対する諦めと呆れた気持ちを描いているのみです。『ハウルの動く城』のような厭戦でもありません。

この死と戦争に対する描き方のため、この映画のラストはものすごく爽やかでした。あまりに重苦しくて(それだけにとても見事に戦争の悲惨さを描いた)もう二度と見たくないとすら思った火垂るの墓とは大違いです(そういえば火垂るの墓のヒロインは、堀辰雄の『風立ちぬ』と同じ節子ですね。映画のヒロイン菜穂子は、おそらく堀辰雄の小説『菜穂子』から、謎のドイツ人カストルプはトーマス・マンの『魔の山』からでしょう。ぼくは途中で挫折しましたけど)。

予想もしないこの爽やかさと唐突な終わり方に、劇場を出た後盛り上がりにかけたのではないか?とか、描き切るには時間が足りなかったのではないか?といったことを一緒に見た妻と意見を交わしたくらいです。

だから、ぼくにとってこの映画はイタリアのカプロニに憧れた日本の青年が飛行機を設計するという夢にひたむきに向き合い、それを実現する話です。愛する妻の死さえも乗り越えて、夢に向き合った青年の話です。その感動には涙するほどではなかったので、この映画を見終わっても泣きはしませんでした。菜穂子が喀血した直後のシーンにはうるっとは来たんですが…。

この映画で涙した方、ぜひどのあたりに感動したのか教えてください。


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