東日本大震災で帰宅難民になった

 

JFE スチール製鉄所が爆発

3月11日に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)からはぼくも逃れられず、帰宅難民となりました。ぼくの目からみた震災の起きた一日について体験したことを振り返ってみます。なにかの役に立つことを願って。

地震発生から退社まで

14時46分。地震発生。

このときは二日前の三陸沖がまた揺れているのかな、とのんびりと構えていました。ところが揺れがおさまらない。次第にオフィスにある植木が倒れ、書類が落ち、可動式の書庫がうるさく音を立て始めました。

立っていられない揺れとはまさにこのこと。ぼくも慌てて机の下に逃げこみ、揺れがおさまるのを待ちました。体感で5分近く揺れていたように思います(オフィスのあるビルが20階建てのため、揺れも大きく、長くなる傾向があるためだろうと推測。阪神大震災のときは岐阜県にいましたが、これほど揺れは大きくなく、中越地震の余震よりも酷く、体感した中で一番大きな地震になりました)。

オフィスの窓から外を覗くと、大勢の人がビルから避難してきていました。でも目の前に広がるのはいつもの光景。もう大丈夫なのかな、と思ってビル内を見回ると…

ビルがひび割れ

階段の壁をはじめとして、あちこちにひび割れや壁が剥がれ落ちてきていました。これはとんでもないことになっているのでは、と思い始めたところに、窓の外に煙が見えるようになります。

JFE スチール製鉄所の火災

写真の中央と右に立ち上る煙は、JFE スチール製鉄所で発生した火災(市原市のコスモ石油とはまったく別です)。製鉄所なのでもちろん煙は普段から出しているのですが、その煙はこんなどす黒くありません。明らかに不自然なものが燃えている色です。この煙はやがてオレンジや赤になったりしながら(化学物質が燃えていたと思われる)、どんどんひどくなっていきました。

JFE スチール製鉄所が爆発

そしてついに爆発。2kmほどの距離があっても、ビルの中にいても、身体に熱を感じるという、信じられない出来事でした。

工場側は千葉市に、コークスガスの圧力を下げるために燃やしたもので火災ではない、と説明したと後から知りましたが、故意かそうでないかに関わらず、こんなものを見せられたら不安にならないほうがおかしい。ぼくはこのときはじめて、この場を逃げ出して家に帰りたくなりました。

ところが地震のため、JR が運転休止となってしまい、千葉から東京へと帰る術を失った僕に退社命令が出たのは定時の10分前。むしろ、このまま会社に泊まりたいとさえ思っていたのですが、会社には泊まるなと言われ、ホテルに泊まるかタクシーで帰るか選ぶように言われました。

いまさらホテルなど取れるはずもありません。ぼくはタクシーを選択し、オフィスを飛び出しました。

タクシーとホテルを求めて

千葉駅のロータリーにあるタクシー乗り場は行列なんてものじゃない人集り。試しに反対側の乗り場にも行ってみたのですが、そちらも変わらず。とても人の多い千葉駅からはタクシーには乗れそうもありません。

これは千葉から離れたほうが良さそうだと判断して、千葉から東へと移動することにしました。東にしたのは千葉で働く人のベッドタウンも多く、千葉からタクシーに乗った人がそちらで降りたのを拾えるのではないかと思ったからです。

タクシーを探しつつも必死にホテルに電話を試みますが、携帯の通話も規制されホテル側の固定電話も混雑しており、なかなかつながりません。つながってもすでに一杯という状況でした。

それでもなんとか3時間かけて都賀駅のロータリーでタクシーを確保。運転手さんにまず謝って東京に向かってもらいました。「金は(会社が)いくらでも払う。一番いいタクシーをたのむ」

渋滞に次ぐ渋滞

タクシーに乗ったものの大通りに出ると渋滞、脇に抜けても渋滞、と全然先に進めません。千葉の東部でもあちこちで停電が発生し信号機が機能していないため、車が押し問答を繰り返しているせいでした(警察が手信号してくれていれば…)。

千葉市の西側に行っても渋滞なのはやはり都内に向かう車の量が多いからでしょう。もう本当にびっくりするくらい動かない。信号が5回ほど変わっているのに、ピクリとも動かない。まったく前進できない。牛歩戦術よりも動かない。

結局人生で一番長い時間 – 6時間 – タクシーに乗って、進んだ距離にして総武線4駅分。なにやってるんだか(笑)Twitter で7時には総武線が運転再開予定と知り、運転手さんに謝って(もちろんお金は払って)タクシーをおりました。

歩く歩く。京成線へ。

総武線幕張本郷駅についたのがおよそ5時半。この時点ですでに多くの人が運転再開を待っていました。でも駅は寒く、ただ待っているのはつらそうです。

東京メトロが終夜運転しているのは知っていたので、そちらへ行くことも考えたのですが、運転区間は妙典から。幕張からは歩いても3時間以上かかりそうです。

待っていても辛そうなので、総武線に沿って歩いてみることにしました。電車が動き出したらそばを通るから気づけるだろう。

京成電鉄の試運転

おや~。横を通って行ったのは京成電鉄の試運転車両。

総武線に沿って歩いているつもりがいつのまにか京成線をたどってしまっていたようです。いずれにしても、試運転してるなら京成線が動くはず!

京成線に乗って、京成八幡から都営線へ。

こうして僕は25時間ぶりに東京にもどってきました。

東日本大震災後の夜明け

僕の帰宅難民体験談はこれでおしまいです。帰宅してはじめて、東北の惨状や関東の置かれた事態を把握することができました。でも、被災地域以外の人たちはもちろん、海外の人たちも日本を応援してくれています

どんな長い夜にも朝は来ます。まだまだ揺れが続きますが、みなさん力を合わせてがんばりましょう!

東日本大震災で帰宅難民になった” への8件のコメント

  1. 金はいくらでも払う。一番いいタクシーをたのむ ←台詞かっこよすぎですwww一度言ってみたい。。

    • >せいうんくん
      お久し!いや、ほら会社が払ってくれるっていうから気も大きくなるわけですよww
      昨日決裁もおりてお金も帰ってくるから一安心!w

  2. 僕も帰宅難民になりました。
    お台場から新橋まで3時間歩いたんだけど、君ほどではなかったね。
    あの日は、お疲れ様でした。

    • >をかもとさん
      新橋までいけるなら転がり込もうと思ってたんですけど、
      そこまですら無理でしたね…。
      ほんとにお疲れさまでした…。

  3. Oddysey さま、
    突然のご連絡、失礼いたします。

    工場爆発の写真をミュージシャンの震災チャリティー用のビデオに使用させていただきたく、コメントをしてます。(メールアドレスが見あたらないので、コメントというかたちで失礼させて頂いてます。)

    ご許諾して頂けるかの否認か承認をご一報下さい.また、承認の場合のクレジットをどう記すればよいのかもお知らせください。(フルネームかニックネームかなど。)

    なお、各国の赤十字などへの寄付を奨励するためのビデオで、アーティストの方に金銭が入るというということは全くありません。

    よろしくお願いいたします。

    K Office 代表

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